渡辺篤史の「建もの探訪」。長く続いていますね。僕も昔から楽しくみさせてもらってます。渡辺氏のハーッツという深いため息(最近は減った)と笑えないギャグも微笑ましい。
子供の頃から家は店をやっているので、友達の家に遊びに行くことが多く、そのせいか他の人の家を見るのが好きでした。
夜ウォーキング中は、暗い中ハウスウォッチングしながら、この家の内装はどうなっているんだろう?と想像するのも楽しいです。(決して変な趣味趣向はないです!)
「建もの探訪」。テーマがある個性的な空間、間取りは見ていて面白いです。
最近の建築デザイナーの傾向か、個人的な要望なのか、空間を広く見せる、キッチン・リビング・和室・階段がワンフロアーに整然としている。そこに採光がとれる人口的な中庭があったり、高い吹き抜けの上階と連結している統一された空間。
そこにデザイナーの家具が鎮座し、ハワイアン調、白い家等のテーマがある。
僕個人的には、貧乏性なのか広い空間に住んだことがないので、広すぎると落ち着きません。昔風かもしれませんが、プライベートな空間、隠れ家的要素は必要だと思います。誰でも好きなものは1つではないと思うので、スタイルを統一することは自分では飽きてしまうような気がします。
小さな池がある和風の庭に憧れる。そこに50年代風リビング、ネオバロック調の書斎、ネオ和風の和室。空想喫茶風音楽ルーム、イタ車が眺められるガレージ。調和などどうでもいい。部屋毎にテーマを変えて、家の中を移動しながら気分転換する。
寝室?どこでも寝ますよ。お風呂?僕は銭湯派です。だからその辺りにはお金をかけない。階段は廊下に、部屋にはドアが。これって古臭いかなぁ。
世の中不景気が続き、街なかも閑散とした状況が続いている。街なかも再開発することが何よりも活性化につながると信じている。
ちょっと冷めた見方かもしれないが、僕の中では再開発が、新しいものを生むとは思えない。商業的なものは郊外にいこうが、日本中どこにいっても、金太郎飴に近いと思っている。
そこで街なか、特にこの富山に必要なのは「文化施設」だと思う。美術館、音楽ホール等のない街なかに何の魅力があるだろうか?
富山市公会堂が移転して久しいが、昔は公会堂でコンサートを観て、その後街なかでお茶したり、お酒を飲んだりして、激論をかわしたものだ。少なくとも今の街なかにはそういうドラマは全くない。当店も同じだが、物を売るのに必死で文化を楽しむ余裕などない。来街される方もごひいきの店に行くだけ。
買い物以外で街を楽しむ、そういう場所もなければ刺激もない。唯一の刺激?は、百貨店の物産展くらいでしょう。
ただ大和跡地に富山市立図書館がくることが決まった。僕も10年以上前から、最後の望みは図書館の誘致だと思っていた。中央通りに小公園と図書館。ヨーロッパのような個性のある文化的環境が整い、色々な人が集まり新しい街になる事を期待していた。
ホントは大和跡地のような街のどまんなかよりも、はづれの方が街にも回遊性ができ、街歩きの楽しみもできたのではないか?と思う。とりあえず街なかにできることが決定した事は、喜ぶべきことでしょう。
後は、ただビルの中に入れてしまうのではなく、何か面白い仕掛けを期待する。
残るは、「中央通り花やしき計画」 僕に潤沢な資金があればなぁ。
パンパカパ~ン!!今日は、私の〇回目の誕生日です。
とってもとっても私事でごめんなさい。しかも、そんな大きな声で言える年齢でもないのに…。
有名・無名に関係なく私と同年代の女性は、とてもエネルギッシュです。チャレンジ精神、向上心が旺盛ですね。男性よりもパワーを感じる方が多いです。私も見習わなければなりません。
何歳になろうとも誕生日というものは、その人にとってスペシャルなものです。
皆 なんらかの使命を神様から受けて、この世にきている。と思いマス。
それを一番感じる日が誕生日なんじゃないかな。とずっと思っています。
「誕生日おめでとう!!」この一言が、私にとって一番極上のプレゼント。
今朝主人が真っ先に言ってくれました。この上ない幸せを感じました。
気分もあらたに、これからの1年充実したものとなるよう努力します。
神様からの宿題が少しでもできるように…。
FRED ASTAIRE 「MR.TOP HAT」
スーツを着くずす。LEONのスナップでもない限り、うまくくずしている洒落者はあまり見かけない。しかし、現代スーツの着こなしのポイントであり、スーツ屋アルバーノのテーマでもある。
まず、格好良いスーツを自分流のサイズ感に直す。それもくずすテクニック。さらにどうくずすかは、その人の個性。シャツ、靴、時計等の小物使い。
チーフ、スカーフは基本である。簡単そうだが、巻き方は奥が深い。多少の練習は必要。当店でもロダ、フィオリオ等個性的なアクセサリーブランドを揃えていますよ。
そこで、着くずしのテクニシャン、稀代の洒落者フレッドアステア。
ミュージカルの中でもスーツを自分流に着こなし、ピンクのスカーフチーフをうまく使っている。エンターティナーの彼は、ジャズボーカルにも挑戦している。それがこの「MR.TOP HAT」だ。オスカーピーターソン等一流ジャズメンをバックにナチュラルにスイングしている。軽妙洒脱なボーカルは、非常に味わい深い。
収録曲は出演した映画からゆかりのナンバー。ガーシュイン、コールポーターの有名なスタンダードで固めている。ミュージカルに興味がない方も、このジャズボーカルはファッショナブルに感じられると思います。
最後の2曲では、お馴染みのタップダンスを披露しています。
「青い瞳のステラ 1962年夏」
前のブログで書きました、東京から30分のリゾート、横浜。100回以上は訪れていますが、何度行ってもこの街の空気を吸うとなぜか落ち着きます。
夢はアルバーノ横浜元町店を出し、山手にボロくても別荘を持つことです。
この街に憧れて30年以上たちますが、みなとみらいの再開発で町並みも急速に変わりました。しかし、今でも語り継がれる伝説が、この街には沢山あります。
開国の街であり、食・ファッション・音楽・建築・スポーツ等いろんな文化が、60年代から東京に先駆けて発信されていた事は間違いありません。
異国情緒あふれる横浜の魅力、穴場、エピソードをきときとの富山っ子の僕が、ハマっこを気取ってざっくばらんに語りたいと思います。
僕と横浜との最初の出会いは、やはり音楽です。「ブルーライトヨコハマ」、「港のヨーコヨコハマヨコスカ」、「よこはまたそがれ」も好きですが、ロック少年の僕が柳ジョージと出会ってからです。彼の曲「青い瞳のステラ1962年夏」。
故郷テネシーを夢見て死んだアメリカ人娼婦が外人墓地に眠っている。という曲なんですが、名曲です。ちなみに僕のカラオケの十八番です。下手ですけど…。
外人墓地?元町から石畳の急坂を登る右側がフェンスになっていて、その中が外人墓地になっています。息を切らして登りきると、高台から海とマリンタワーを背景に外人墓地が一望できます。初めて見た時、時が止まったような静寂と落ち着きを感じました。
どんな異人さんがここに眠っているのだろう。手を合わせ「青い瞳のステラ」を心の中で口ずさみました。
柳ジョージの自伝を読み、60年代当時のYOKOHAMAの原風景。
米軍キャンプ、アメ車、ロック、不良、若者文化の憧れの最先端が本牧という場所から発信されていた事を知りました。
それから10年以上たっていますが、高校生の僕の想像は膨らんでいきました。
To be continued…