私の毎朝の散歩コースの桜が満開!!
この時期は前ではなく、上を向いて歩いてます。(ちょっと危ない。)
桜の花が咲くこの時期が一番幸せを感じますね。
そして、毎朝きれいな日の出の太陽に向かって合掌。
パワーをいただいております。
「不安があるから安心がある。
悲しみがあるから喜びがある。
絶望があるから希望がある。
すべてすべては対であり、支えあっている。
ひとつのエネルギーから二分されて生まれたものだから。」
私の好きな心理セラピストの方が言われたことです。
この時期だからかなんだか身にしみる言葉です。
ピカピカの一年生のつもりで私もスタートをきりました。
さらなるレベルアップを目指します!
「Canto subterraneo」Ariel Asselborn
日々何事もなく平凡な日常生活を送る。それがどんなに幸せな事か身に沁みて感じます。もし、その日常が一瞬にして消えてしまったら、生きるエネルギーを失ってしまうだろう。震災後しばらく被災者の方々の心中を思うと言葉にならなかった。言葉をなくしてしまった。「お見舞い申し上げます。」としか言えない。そして、ゆっくりと自分らしさを取り戻して欲しい、と願う。
震災から1ヶ月がたちます。復興に向かっても今までよく知っていた故郷の情景は戻ってはこない。長年その土地に住んできた人達にはツライことだろう。これから新しく生まれ変わる事になるだろう。でも美しい風景、情景を心の中のキャンバスに焼付け、いつでも郷愁を思い出せればいいな、と願います。
被災された方々が今音楽を聴ける状況ではないでしょう。
今僕はよくこのアルバムを聴いています。アリエル・アッセルボーンの「大地に眠る歌」アルゼンチンのシンガーソングライター。フォルクローレをルーツに歌とギターで優しく語りかける。大地の詩的で美しいストーリーの数々。押しつけがましくなく、慎みの感じられる歌声。静かだが暗くうつむくことはない。まっすぐに聴き手の胸に届く強さを備えている。傷ついた人の心の中に自然と染み渡ると思う。広がる草原、流れる川、人々の記憶。これを聴いて故郷の情景、素晴らしい風景をぼんやりと想像して欲しい。
今僕達に出来る事は自分に与えられた日常を精一杯生きる事と同時に苦しみと戦って生きている人達を目を閉じて想うことである。
待ちにまったフィナモレ・カジュアルシャツ第2弾が到着しました。
今回は鮮やか色あいです。ピンク、ブルー、グリーン、レッド…。
さて、どこに置こうか?んっシャツの置き場がない!シャツ、シャツ、シャツあっちにもこっちにもシャツが所狭しと溢れている。フィナモレ、エリコ・フォルミコラ、バルバ、ボリエッロ、ルイジ・ボレリ…。ナポリのシャツばかりじゃないか?!こんなに沢山仕入れて大丈夫?
実を言うとそれには理由があるのです。
昨年の春夏物の仕入れの頃、真剣に考えていたんです。2Fでイタリアンシャツ(ナポリシャツ)&ミュージックカフェをやろうかなと。シャツは季節感もないし特に大きなモデルチェンジもない。商品の賞味期限は長い。イタリアのシャツメーカーは、それぞれ縫製も味付けも違う。シャツを通じてイタリアメーカーの奥深さ、歴史を一般の方にも知ってもらうきっかけとはならないだろうか?スーツ屋は今時古いし入りづらいだろうケド、シャツ屋ならましてカフェもあれば気軽に覗いてもらえるかもしれない。エスプレッソを飲み、いい音楽を聴きながら見て、着て楽しんでもらえる。やりたい!やろう!という想定のもとナポリシャツを中心にいつもより多く仕入れた。
しかし、カフェの件で異論もあり今春は見合わせた。ただ僕の中では近いうちに実現したいという強い想いはある。
シャツはアートだ。シャツミュージアム。カフェの中で壁に装飾し新しい見せ方で演出したらどうだろうか?もちろんどんどん自由に着てもらう。着てみないとわからないのがシャツだ。たたんだ状態で同じ様な顔をしていても着てみると全然違う。襟の形、高さ、肩の付け方、ボタンの位置、間隔、第2ボタンを開けるとどうか、勿論ボディサイズにはこだわる。そして、ファブリック、色、柄。似合わないと思っていた色がちょっとした発色、トーンの違いで顔映りが良かったり似合わないと思っていたチェックが大きさや色の混ざり方で意外としっくりきたり…。特にチェックは難しいのだ。
イタリのシャツはシャツを買いつけるのではない。モデルを買い、仕立てを買い、ファブリックを買うのです。日本のシャツのように1点1点が正確なサイズでない場合もある。それもアートかな?
2万円で買うドリーム。それを選ぶ楽しさ。今春から夏にかけてあなたの上半身はどんなアートを描く?