むかし、むかしの物語。80年代からのバブルが終わっても、日本にはイタリアンデザイナーブランドの残像は残り続けた。バブルまっただ中に富山に戻り、商いを始めた僕は、その一部始終をみてきた。おびただしい数のイタリアンデザイナーブランドは、徐々に淘汰されていった。ポールスミスやセレクトショップ(御三家)が台頭してきた。混沌としたなか地道に足固めをしたのが、イタリアンファクトリー。ゼニア、ヴェスティメンタ、レダエリ…。イタリアンデザイナーブランドは雲の上の存在になり、手が届かなくなった。ファクトリーならば手が届く。それでも、そんな簡単に買える代物ではなかった。
その頃からイタリアかぶれしていた僕も、今と変わらないプライスのメイドインイタリーにこだわっていた。
2001年にLEONが創刊され、「ちょいワル」がブームになるが、まだまだイタリアモノは高かった。80年代からのイタリア服の歴史の中、本当の意味でメイドインイタリーが親しまれだしたのは、5~6年前からだと思う。
それを語るうえで、このブランドを出さない訳にはいかないだろう。またかと言うなかれ、ボリオリだ。ジャケットブームの立役者であると同時に、日本にメイドインイタリーを浸透させるきっかけを作った。
ボリオリから登場したアンコンジャケット。当時ハンプトンといった。薄い芯、パット無の一枚仕立て。プライスは10万強。一部で話題になったが、そんなに売れた訳じゃない。
翌年の春、ハンプトンの進化バージョンが出た。ドーヴァー。プライスは確か83000円。業界がざわめいた。雑誌媒体が一斉に注目した。メンズファッションの風向きが変わった。革新的ジャケット登場とドーヴァーはとりあげられ、あれよ、あれよと売れだす。商品は店頭、ネットショップから消えた。それまでの重厚なテーラードのイメージをくつがえす軽快さ。流れるようなスタイリングの美しさ。何よりも衝撃的だったのは、そのプライス。代理店からのアンサーが、一律83000円。当店は最初からボリオリを直輸入していたので、なんの驚きもなかった。「いいとこついてきたじゃない。」くらい。
当時のボリオリは、イタリアンファクトリーブランドの一つとして頭角をあらわしていた。その前に、カンタレリ人気もあった。ただ、ほとんどのブランドがジャケットで10万円強、スーツで13~14万円が相場だった。そこに一石を投じたボリオリジャケット、8万円台。ボリオリの名は日本中に広まり、一般層にもイタリア服が身近な存在になった。10万強のドーヴァーだったら、こんなに反響はなかったはずだ。
イタリア高級服の世界はまた別ではあるが、イタリア服の敷居をいい意味で下げてくれた。それ以降いろんなイタリアンブランドが、ボリオリのブライスを基準に考え始めた。ボリオリは、それくらいプライスが重要であることを証明してくれた。新しい層を開拓するための大きなファクターになった。
それまで自由気ままに値付けしていた当店も、代理店からドーヴァー・ホップサックに限り、83000円のプライスを統一するように要請された。その時は正直もう少し安くてもいいんじゃないか。と思った。
ただ、僕が嬉しかったのはイタリア服のプライス目線が、自分に近づいたことだった。ボリオリが売れたことも勿論だが、プライスが評価されたことが満足だった。