久し振りに代理店Sさんと飲みに行ってきた。AM1:00をまわったところ。Sさんとの付き合いは長い。この業界では一番古い方。20年を越える。いろいろあったよね。懐古話、病気自慢に花が咲く。
バブル期のウハウハの時を彼は知っている。僕は恩恵に与れなかった。そして、“時の流れのように身をまかせ~”テレサ様!
事務所の移転話で盛り上がる。6回も変わるのは、ギネス級だぜ。これが東京ぜよ。花の都ぜよ。大都会と東京のいろんな面を見てきました。1ヶ所、1ヶ所が懐かしく、愛おしく思える。
物語は、六本木のド真ん中から始まる。昔は寄るしか縁がなかった六本木。ディスコでフィーバーして、ハードロックカフェで酔いをさまし、朝帰り。コートを着たまま玄関で寝てしまい、その恰好でそのまま出勤した事もあったな。その頃は、上から下まで黒でキメるのが、僕流。初めて高級マンションのルームナンバーをおした事を思い出す。フェレを作っていたことで、当時人気だった「レダエリ」。
Bニーズさんなんか、フロアの大部分をレダエリが占領していた。スゲェ。最初は恐れ多くて、ワタクシ触れませんでした。
数年後、当店はBニーズにせまる勢いに。シャツと言えば、「バグッタ」。アルマーニのファクトリーと言えば売れた時代。シーラップのコートもあったけど、横目で見ていた。そうそうたるブランドが並ぶ。
その時担当だったSさんは、オドオドした僕にも優しかった。その時Sさんが「直接輸入も出来ますよ。」というおいしい話を耳元でささやいた。
僕の目が輝く。マイ インポート ビジネスの幕開けだ。世界が狭く感じた。
次の事務所は、麻布十番。芸能人のお忍び店が多いらしい。森公美子を見かけたかな。大使館が多いのか、石を投げれば外人に当たる。とにかく、当時は地下鉄の駅もない、陸の孤島。ワタクシ浜松町から歩きましたよ。スゴイでしょ。東京タワーの付け根をタッチし(さわれねぇよ。)インターチェンジをこえて、ひたすら歩く。時速約10㌔。バス3台は追い越したな。「たどり着いたら、いつも雨が降り。ここもやっぱりドシャ降りだ。」(拓郎)、ピザ屋の?階。コンクリートジャングル東京。窓一面に首都高が横たわる。
“高速道路の下で生まれて、地下鉄の上で死んでいく~東京!東京!東京!”(浜田省吾)。
そんなカッチョイー、ショールームで、服を選ぶ優越感。バブルの幻影。幸せだニャ~。
「ネルヴェーザ」というイタリアのファクトリーブランド。皆さんは知らないでしょう。サンローラン、ディオール、ランバン…おフランスのそうそうたるブランドのOEM。飛びついた。けど、手からスルリとこぼれ落ちた。
3番目は、千駄ヶ谷から原宿方面にあるマンション。その頃にSさんは独立。東京体育館を通り過ぎ、大好物のホープ軒本店の黄色い看板が、僕を誘う。Sさんと僕はすいこまれる。そして、Sさんは体を壊したらしい。あそこのチャーシューメンとスープは、バイオレンスだ。その時ステファノビジが来日し、事務所でプレゼンテーション。ビジ氏はロック好き。ネクタイを並べながら、ジャンピングジャックフラッシュ。Fさんとビジはイタリアン。僕とSさんはホープ軒。
4番目は、乃木坂。この駅複雑。方向を間違えると、別世界。大人だね。僕には演歌の匂いがするんだなぁ。なぜだろう。国立新美術館が完成し、「モジリアーニ」の絵を見に行ったっけ。イタリアらしくて好きだなぁ。ブティックの一店舗が事務所に変身。
5番目は、青山一丁目。アローズの本社がある。さすがに大きい。人の出入りが激しく商談室は活気に満ちている。事務所はツインタワーの裏を六本木方面に行く住宅地の中にポツンとある。この頃から、Fさんは事務所の一角にDJコーナーを作る。僕は興味深々。仕入れどころじゃない。レアなレコードを見つけては、リクエストする張り詰めた空気が怪しさで包まれる。僕は放置プレイが好きだ。商品に埋もれながら、一人で商品チェック。担当のTさんも僕に資料を渡し、「勝手に見てて下さい。」と一言。
そして、現在の恵比寿に至る。ここは、Fさんらしくない。わかりやすいよ。
僕が富山に帰る前、一年間バンタンデザインに通っていた。その頃の恵比寿は何もなかった。
ヤバイ。気がついたら、大分酔いがさめてきた。酔った勢いで書いているのに…。
東京は物価が高い。事務所を借りるのも大変だろうなぁ。僕が東京に店を出すなら、どこがいいかな。東京在住の方にでもアンケートをとろうか。オシャレな青山界隈。それとも、お世話になった下北沢。いや、ちょっとイタリアの雰囲気はないな。
やっぱり東京じゃないけど、僕の好きなあの街かな。そうです、渋谷から電車で30分位で行けるところ。
そうです、何度もブログで熱く書いてる、あの場所しか思いつかない。
.