HOME > Blog
2014年05月04日

アルバーノが日本製を扱わないのはなんでなの?(前篇)

洋服屋の長男に生まれ、幼い頃から店や商店街が僕の庭・遊び場だった。
全てが街にあった時代。華やかな環境のド真ん中で育った。友達からは羨ましがられてました。子供は賑やかな所が好きですから。楽しかったけど、それが当たり前だった。しかし、孤独感もありました。休みは一人遊び。休日やゴールデンウィーク等に、行楽地に連れて行ってもらうという事は諦めてましたね。
洋服への興味?人並みに中学の頃、目覚めましたかね。エビスヤ(自店)は、正統派紳士服店でしたから、子供には無縁。近所のジーンズショップ(今はライバル)で、買ってました。
高校生の頃になると、ウチの店でも興味のあるものが出てきました。例えば、ボタンダウンのシャツ、ワンポイントのポロ、ソックス…。高校で商い始めました。それが、僕の商売の原点。その時点で将来の道は、決まってたのかな。
店はサンヨー(三陽商会)が主力でしたから、コートは揃ってましたよ。バーバリー(アムロがマフラーするまでは、オヤジブランドでしたね。)なんかも。
高校の頃、トラッド全盛時代。VAN・JUNが人気爆発。ステンカラーやランチコート(ムートン)は、よりどりみどり。洋服屋に生まれた幸せを初めて実感。
当然ジャケットも?店にVAN・JUNはなかったですけど、ワッペン付きジャケット(ブレザーか)は沢山ありました。試着しまくりましたね。BUT!なんかしっくりこな~い。イケてな~い。高校の頃と今の僕、体型はほとんど変わってないんです。ステンカラー・ランチコートはお気に入りがあったのに、ジャケットは似合わない。バーバリーが悪い訳ではない。当時のジャケットは肩パットナシ。モチロン日本製です。
僕のハンガーの様にイカった肩がくっきり出て、イヤだったのです。ジャケットは僕の美学からはずれ、それ以来ジャケットアレルギーに。
それから数年後、僕が大学時代のDCブランド全盛期に出会ったのが、コムサデモード(今のSCに入っている形態とは全く違う。)そこで、コムサのジャケットに袖を通すと、ん~なんかいい感じ。そのジャケットにはパットが入っていて、昔着たブレザーとは全然違う。
ジャケット、いいじゃない!世界観が変わった。ファッションなんてそんなもんですよ。
その時以来僕のスタイルは、スーツ・ジャケットスタイルに。ボロボロになるまで着てました。潜在意識の中でスーツに対する強い憧れがあったのだと思う。「ゴットファーザー」、「ボルサリーノ」等のギャング映画が大好きで、スクリーンの中のアルパチーノ、デニーロ、ジャンポールベルモンドが、着こなしていたスーツスタイルに憧れていたんです。マックイーンやジェームスディーンの様なカジュアルスタイルよりも。スーツ屋に育った環境もあったんだと思う。ただ、その頃は似合わないと諦めていた。
僕の本能が目覚め、それ以来ワイズのスーツ、コムデギャルソンと極めていく。ワイズのブルー、ギャルソンの黒が僕のユニフォーム。とにかくスーツしか着なかった。
その数年後、衝撃のスーツが登場するのである。
※以下後編へ続く…

COPYRIGHT 2010(c)Albano ALL RIGHTS RESERVED.