京都の大学に通う学生だった僕は、北山通り(まだ賑わう前の、今はどうなのかな。)のメンズショップのウインドーに、神々しく輝く30万円の値がつく美しいスーツにしばし目を奪われた。
「これはなんなんだろう。なんでこんなに高いのか?」
イタリアのイの字もなかった時代。スパゲッテイは知ってても、パスタなんて知らない時代。その時見たスーツが、イタリアのアルマーニというブランドであると知るには時間がかかった。
就職しレディースショップで働く僕のトレードマークは、DCブランドのスーツだった。
ただ気がついた頃には、世の中のトレンドが「イタリア」というワードで溢れていた。そして、富山に戻り店を手伝いだした時、周りの店を見渡すとイタリア服が氾濫していた。雑誌も話題もイタリア、イタリア。ダブルのスーツが男のステイタスになっていた。スーツしか着ない僕のベクトルは、当然本場イタリアに向いた。
初めて扱ったイタリアンブランド。当時人気赤丸急上昇の「レポーター」というブランド。
近くの店で扱っていたが、ダメもとでアプローチした。展示会に行き、初めて袖を通す。
「これが本場イタリア服か、なんか違うオーラがでてる。」鳥肌が立った。
なんとかして扱いたい。願いは叶った。多くの芸能人も着ていた「レポーター」は、人気者。良く売れた。1つのブランドにこだわるのは、その時からか。その頃はメイドインイタリーは高かったので、ライセンスやイタリアもどきのものが多く、皆それを着ていた。僕も最初はそんなにこだわっていなかったが、徐々にイタリア製の美しさ、立体感にハマっていく。
そのうち主力ブランドが、豊田貿易が扱っていた「ヒューゴボス」を作っていたスイスブランドになっていた。フィーゴの「コルネリアーニ」、伊藤忠の「パルジレリ」、「イザイア」もやった。バブルの勢いだ。気がつくと、当店は完全イタリア製が占めていた。
そして、数年前日本のトップファクトリーであるRさんから声がかかる。日本製とは縁がなかっただけで、日本の服を否定している訳ではなかった。オーダーも出来るようだし、いろんな体型の方にの対応できる日本製も必要かな。とは常に思っていた。
早速試着してみた。すごく仕立てのいい服だと思った。日本の服もここまできたのかと実感した。ただ、鏡にうつる自分の姿に何かがよぎった。高校の時の記憶。トラウマなのかな。スタイルも仕立てもいい。いいんだけど、自分の体型が見える。コンプレックスのいかり肩のラインがわかる。ほんのささいな自分の問題だ。何をこだわているんだ!みんなはいいと言ってくれるはずだ。でも、やっぱりここは譲れないところだ。自問自答。
自分が納得いくものしかお客様に勧めたくないというガンコな信念と、高校の時のパットナシジャケットのアレルギー。頭の固い男だ。Rさんのお誘いは断る事にした。日本製スーツのクォリティの進歩は、すごくわかる。ここ数年でさに進歩しているのかもしれない。でも、今はイタリアの服にこだわっていくことが、自店のアイデンティティだ。
その言葉の裏には高校時代の苦い思い出が、深く根をはっているんだろう。